怪虚録(めもわぁる)
嘘は書かないが、本音も書くつもりはない。

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1日に2冊本を読んだのは久しぶり

午後、2冊本を読んだ。
ハインラインの「宇宙の孤児」と村上龍の「限りなく透明に近いブルー」。
スカルラッティのチェンバロ・ソナタとか聞きながら。アンバランスな組み合わせだ。


「宇宙の孤児」は学生時代に読んで以来20年ぶり?ページは茶色に焼けている。この頃の本って、酸性紙だから、数十年でボロボロになるそうだ。
ハインラインの初期のSFで、彼の古き良きアメリカ人としての考え方がストレートに出てる。猪木さんじゃないけど、「迷わずに行けよ、行けばわかる」みたいな。ハインラインもそろそろ亡くなって20年、10代、20代のSFファンは彼の小説をどう読んでいるのだろう。SFの古典というか、定番として「夏への扉」「異星の客」とか読むのかな。


「限りなく透明なブルー」を最初に読んだのは高校2年生かな?
それまで読んでいた本は主にミステリ(和洋問わず)。他に三木清との「人生論ノート」とかプラトンの「ソクラテスの弁明」(って、2冊とも読書感想文書くために読んだだけじゃん)とか読んで、結構まっとうに人格が形成されつつあった。中学3年~高校2年くらいまでの僕は、今よりはるかに大人で、考え方もしっかりとしていた。そんな時に「限りなく透明に近いブルー」を読んで、それまで築いてきた価値観とか、人生観とかってのが完全に崩壊した。それから25年経って、いまだに再構築できないでいる。それくらいのショックをこの小説から受けた。それでも、なんとなくだけど「限りなく透明に近いブルー」っていう感覚はなんとなく判った気がした。
この後、時代に応じて(実名を挙げて申し訳ないが)田中康夫とか、高橋源一郎とか出てくるんだけど、その都度、生ぬるくて読めたもんじゃないって思うようにもなった。


今回読み直したのは10数年ぶり4回目かな?自分の感性が鈍くなってるのを感じたのは、常用している精神安定剤のせいだけじゃないだろう。残念だけど。
人間が、「結晶化された、研ぎ澄まされた感性」を持っていられるのは10代後半(個人差はあるだろうが)のほんの一時期だけ。そして、その時期を過ぎてからそのことに気づく。いや、気づかない人間もいるだろうが。


2012年7月21日追記。

50を目前にして、今でも、15~16の頃が一番(精神的に)大人だった、と思っている。
あるいは「オレって、いつ(精神的に)大人になるんだろう」と思うこともある。


当時の精神的・肉体的な状況を記録しておくために手は加えなかったが、今現在、精神安定剤は常用していない。万が一のためにかならずバッグに入れて持ち歩いているが、震災後しばらく、頓服的に飲んでいたのを最後に、もう1年以上服用していない。ここまで回復するのに6年?7年?それでも相変わらず睡眠障害は出てるし、強迫性障害の症状のひとつの「確認行為」も治まらない(たぶん、出勤前の僕を傍で見てたらおもしろいよ。玄関のドアを開けて出てきたと思ったら引き返し、また出てきて、引き返し、を何度も繰り返すのだから)。これは、「一生モノ」。仕方ない。向き合って、付き合っていくしかない。

キャプテンナンバーは6だった

折角先の文章でローラーゲームに触れたので少しだけ。


綾部ケイコ、と聞いて「あぁ!」と思わず懐かしさがこみ上げてくるのは40代半ばから50代前半の男性のごく一部。もちろん同姓同名の綾部圭子さんは他にもいるだろうから、そういう例外は抜きにして。
昭和40年代後半のローラーゲームのブームを支えた(いわば、キックの沢村忠、ボウリングの中山律子みたいな存在)のは佐々木ヨーコだった。
当時まだ第二次性徴直前のただの餓鬼だった僕にとっては佐々木ヨーコはただの女子のキャプテンに過ぎず、ミッキー角田やリッキー遠藤、ボビー加藤らの格好のいいスケーティングが見られれば満足だった。
また、僕がローラーゲームを見始めて半年経つか経たないかで佐々木ヨーコは引退した。
代わって背番号6をつけ、女子キャプテンに「繰り上がった」のがそれ以前は5番をつけていた綾部ケイコだった。
僕から見れば、ケイコはヨーコと比べて、ルックスも、スケーティングも、髪の長さまでもまったく劣るところなどなく、そのまま6番をつけて何の違和感も感じなかった。全てのローラーゲームのファンが僕と同じように思っていたなら東京ボンバーズの終焉はもうしばらく先に延ばすことができたかもしれない。だが、現実はそうではなかったようだ。
東京ボンバーズの女子の背番号6番は、僕よりもっと上の世代のファンにとっては、佐々木ヨーコだけのものであり、神聖にして侵すべからずというものだったのでは無かったのだろうか?その6番を、ヨーコが引退したからといってあっさりケイコが譲られてしまったことが、少なからぬヨーコ・ファンをローラーゲームから引き離す結果になったのではないか。
それは、昨年、シンボリクリスエスが引退し、繰り上がりでゼンノロブロイが古馬No.1に居座ったときと同じような違和感だたのではないか?
ケイコはケイコであって、ヨーコではない。そのケイコが6番をつけるために、何らかのストーリーが必要だったのではないだろうか?例えば、「マッチレース10番勝負」とかやって、勝ち越したら6番をつける、とか。あるいは逆に女子6番を永久欠番にして、ケイコは5番のままキャプテンを勤めるということでも良かったかもしれない。
当時のボンバーズのオーナーはアメリカ人だったと聞く。ヨーコがいなくなっても、人気はともかく、実力、ルックスともそれほど差の無いケイコに6番をつけさせればファンはついてくる、そんな読みの甘さがあったのかもしれない。一方で、そんなことをやってる余裕が既にボンバーズには無かったほど経営が行き詰まっていた可能性も否定できないのではあるが。
結局、それから間もなく、ボンバーズは終焉を迎える。佐々木ヨーコの名前は未だに語り継がれている。だが、綾部ケイコの名は忘れられているか、佐々木ヨーコのNo.2として記憶されているに過ぎない。それが残念。だから、くどいようだけど、もう1回書く。実力、ルックス、髪の長さまで、決してケイコはヨーコに劣っていなかった。ラフな試合になったときの激しさではヨーコ以上に頼れる存在だったと思う。。


ここからは蛇足。
ストーリー造りに関してはよくプロレスで行なわれることだ。思い出すのは亡くなったジャンボ鶴田さん。
あまりにも馬場さん越えのストーリーを引っ張られすぎて、本来ならアスリートとしてピークのはずの20代半ばから後半を「善戦マン」と言われつづけたのは不遇だった試練の10番勝負は2年以上も引っ張られ、あげく最後の最後は既に峠を越したエリック。当時新日ファンだった僕から見て、鶴田さんがかわいそうだった。


※ この文章は僕の子供の頃の記憶のみに基づいて書いています。
後日、当時佐々木ヨーコ引退後のボンバーズを人気の面で支えつづけた小泉ヒロシ氏の著書を読み直し、記憶違い等があったら訂正します。


2012年6月24日付記
最近知った話。女子1番コリーン・ミュレルは「奇才」ロニー・レインズの奥さんだとか。

グッバイ、エディ

エディ・ゲレロに対して追悼の文章を書くつもりだったが、新日の買収というニュースが入ってきた。

プロレスと、大相撲と、プロ野球はその役割を終えた。もう3年くらい前から、友人のパイルドライバー氏へのメール等で何度となく書いてきた。特に、プロレスはもはや死にかかっている。今回の新日の件で実質的に「メジャー」といえる団体は無くなった。ハッスルは一過性のもので、小川直也の年齢を考えてもせいぜい2~3年も続けばいい。プロレスの実情は、各団体が選手のやりくりをしながら細々と興行を続けていくだけ。せいぜいドラゴンゲートが独自のファン層を開拓するのみだと思う。
プロ野球は、対読売のテレビの放映権料頼みという時代はもう終わった。各球団が、単独で集客して、利益をあげなければならない時代に来た。コストを考えると選手の年棒の大幅ダウンが必要だし、球団数の削減も必要。そういう意味で、昨年は、プロ野球が再生するチャンスだった。そのチャンスを、目先のことしか考えない大多数のプロ野球ファンと古田敦也が潰してしまった。数年後、プロ野球が壊滅的な状況に陥ったとき、古田敦也は戦犯として語られることになると思う。
大相撲は、若貴後のスターを育てられなかった。マスコミ等の目が厳しくなって「星の売り買い」がやりにくくなったことも原因のひとつとして考えざるをえない。
と、ここまでは従来からの主張だが、最近気づいたのは、上の3つのスポーツ・エンターテイメントとテレビとの密接な関係だ。関東圏でNHK2局、民放5局の計7つしかない「地上波」。これに対して、スカパー、有線テレビ、さらにはインターネットと映像情報を伝えるメディアの選択肢が大幅に増えたのと同時に、一見「嘘が無い」ように見える映像情報も、実はいくらでも操作できてしまうという現実を世間一般が認識したことによる既存テレビへの不信感。既存の地上波テレビの時代は確実に終わりに近付いている。テレビ業界の人たちは認めようとはしないだろうが。
メディアの変化と、上記の昭和の3大(?)スポーツエンターテイメントの栄枯盛衰を切り離して考えることは難しいのかもしれない。
昭和40年代に、テレビを伝達メディアとして栄え、その後廃れたエンターテイメントスポーツとしてキックボクシングやローラーゲームがある。キックは細々と続いているし、その延長線上としてK1がある。ローラーゲームに関しては、語れるのは僕の世代が一番若く(ローラーゲーム終焉時、中一)、その範囲が限られている(今の40代半ば~後半だけでしょう)ということもあって、いつか、もう少し詳しく触れてみたい。

最後に。エディ・ゲレロについて。
我々昭和のプロレスを知る人間にとって、見るに耐えうるプロレスのできる残り少ない人材でした。残念です。38歳という年齢は本田美奈子.と一緒だね。僕より若い、才能ある人間が亡くなるのは辛い。

後輩OBたちへ

宮高ラグビー部公認(?)の応援サイトの掲示板の書き込みを読んで一言だけ書かせて貰います。どうせ誰も関係者はこのブログ読まないと思うんで勝手なこと書くよ。


OBたちはみんな、自分たちは(他の世代以上に)必死になって練習したと勝手に思い込んでいる。現役は、自分たちの時ほど頑張ってない・・・って。
それはいつの時代も繰り返される。でも、それが事実なら、毎年毎年レベルが下がっているはずだが、決してそんなことは無い。
岩手の県立の普通高校が優秀な素材をかき集めることは非常に難しい。我々の時代は学区制があって、難しいどころか不可能に近かった(今はどうか知らないよ)。フォワードの平均体重が盛工あたりと比べて10キロ軽いのはもうデフォルト。その中で、それでも必死に練習して、毎年毎年ベスト4の常連には居座ってるわけだよ。


人間の能力って、(才能×K1)×(努力×K2)だと思ってる。
K1、K2はそれぞれ係数で、K1は最小1から最大10くらいの幅があって、K2は最小は0、最大はせいぜい1.2くらいなんだよ。
高校の部活の練習なんて、自分たちは他の世代より練習したって思い込んでいても、元々宮高のラグビー部くらい頑張っているところだと、せいぜい10%~20%くらいしかプラスにならない。才能を練習量で補うなんて限界がある。特に、ラグビーみたいに、高校に入って初めてボール触るなんて選手が少なくないスポーツはなおさらだ。それが60年の歴史の中で花園出場がたった2回という現実に繋がっている。でも、最後まで花園出場を信じて練習を続けてるんだよね。現役は。
宮高のラグビー部に3年間在籍し、苦しい練習を続けてきた。結果は別にしても、それだけで敬意を表する価値がある。


ここ数年、部費も払わない、OB戦にも顔を出さない人間が勝手なこと書いてごめん。


ところで疑問が二つ。
ラグビー部の部歌って、いつできた?
「宮高伝統のタックル」って言われるけど、いつ頃からそう言われるようになった?僕は聞いたこと無かったぞ。そりゃ、我々みたいな小さいチームが大きいチーム相手にするにはタックルしかないのは事実だけどね。


また来年、「伝統のタックル」が見られることを期待してます。

福島遠征断念

本当なら今頃、新幹線の中なんだけどね。
先週からの風邪で断念。まだ微熱が残ってる。
マイネヌーヴェルを生で応援できるラストチャンスだったかもしれないのに。


フラワーカップ勝った時も、福島牝馬で2着の時も休日出勤しててGC見ることができなかった。レース終了を見計ってJRAのホームページにアクセスして結果を知ったんだっけ。今日も休出すべきだった?


過去、福島競馬場へは2度行った。マイネルスマートを応援に行ったときはブービーだった。マイネルトリトンのときは、2着入線後ジョッキーが下馬した。だから行かない方がいいのかもしれない。
次走(って、まだ福島記念終わってないぜ)、ターコイズステークスなら中山に行くかなぁ。ターコイズステークスを生で見たのは大好きだったスカーレットブーケの引退レースが最後か。何年前だ?あのときのブーケの単勝馬券は換金せずに取ってある。栗毛の上品な馬だった。

プロフィール

B.B.N.

Author:B.B.N.
盛岡在住のプログラマーにして、人生のテロリスト

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