怪虚録(めもわぁる)
嘘は書かないが、本音も書くつもりはない。

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キャプテンナンバーは6だった

折角先の文章でローラーゲームに触れたので少しだけ。


綾部ケイコ、と聞いて「あぁ!」と思わず懐かしさがこみ上げてくるのは40代半ばから50代前半の男性のごく一部。もちろん同姓同名の綾部圭子さんは他にもいるだろうから、そういう例外は抜きにして。
昭和40年代後半のローラーゲームのブームを支えた(いわば、キックの沢村忠、ボウリングの中山律子みたいな存在)のは佐々木ヨーコだった。
当時まだ第二次性徴直前のただの餓鬼だった僕にとっては佐々木ヨーコはただの女子のキャプテンに過ぎず、ミッキー角田やリッキー遠藤、ボビー加藤らの格好のいいスケーティングが見られれば満足だった。
また、僕がローラーゲームを見始めて半年経つか経たないかで佐々木ヨーコは引退した。
代わって背番号6をつけ、女子キャプテンに「繰り上がった」のがそれ以前は5番をつけていた綾部ケイコだった。
僕から見れば、ケイコはヨーコと比べて、ルックスも、スケーティングも、髪の長さまでもまったく劣るところなどなく、そのまま6番をつけて何の違和感も感じなかった。全てのローラーゲームのファンが僕と同じように思っていたなら東京ボンバーズの終焉はもうしばらく先に延ばすことができたかもしれない。だが、現実はそうではなかったようだ。
東京ボンバーズの女子の背番号6番は、僕よりもっと上の世代のファンにとっては、佐々木ヨーコだけのものであり、神聖にして侵すべからずというものだったのでは無かったのだろうか?その6番を、ヨーコが引退したからといってあっさりケイコが譲られてしまったことが、少なからぬヨーコ・ファンをローラーゲームから引き離す結果になったのではないか。
それは、昨年、シンボリクリスエスが引退し、繰り上がりでゼンノロブロイが古馬No.1に居座ったときと同じような違和感だたのではないか?
ケイコはケイコであって、ヨーコではない。そのケイコが6番をつけるために、何らかのストーリーが必要だったのではないだろうか?例えば、「マッチレース10番勝負」とかやって、勝ち越したら6番をつける、とか。あるいは逆に女子6番を永久欠番にして、ケイコは5番のままキャプテンを勤めるということでも良かったかもしれない。
当時のボンバーズのオーナーはアメリカ人だったと聞く。ヨーコがいなくなっても、人気はともかく、実力、ルックスともそれほど差の無いケイコに6番をつけさせればファンはついてくる、そんな読みの甘さがあったのかもしれない。一方で、そんなことをやってる余裕が既にボンバーズには無かったほど経営が行き詰まっていた可能性も否定できないのではあるが。
結局、それから間もなく、ボンバーズは終焉を迎える。佐々木ヨーコの名前は未だに語り継がれている。だが、綾部ケイコの名は忘れられているか、佐々木ヨーコのNo.2として記憶されているに過ぎない。それが残念。だから、くどいようだけど、もう1回書く。実力、ルックス、髪の長さまで、決してケイコはヨーコに劣っていなかった。ラフな試合になったときの激しさではヨーコ以上に頼れる存在だったと思う。。


ここからは蛇足。
ストーリー造りに関してはよくプロレスで行なわれることだ。思い出すのは亡くなったジャンボ鶴田さん。
あまりにも馬場さん越えのストーリーを引っ張られすぎて、本来ならアスリートとしてピークのはずの20代半ばから後半を「善戦マン」と言われつづけたのは不遇だった試練の10番勝負は2年以上も引っ張られ、あげく最後の最後は既に峠を越したエリック。当時新日ファンだった僕から見て、鶴田さんがかわいそうだった。


※ この文章は僕の子供の頃の記憶のみに基づいて書いています。
後日、当時佐々木ヨーコ引退後のボンバーズを人気の面で支えつづけた小泉ヒロシ氏の著書を読み直し、記憶違い等があったら訂正します。


2012年6月24日付記
最近知った話。女子1番コリーン・ミュレルは「奇才」ロニー・レインズの奥さんだとか。
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グッバイ、エディ

エディ・ゲレロに対して追悼の文章を書くつもりだったが、新日の買収というニュースが入ってきた。

プロレスと、大相撲と、プロ野球はその役割を終えた。もう3年くらい前から、友人のパイルドライバー氏へのメール等で何度となく書いてきた。特に、プロレスはもはや死にかかっている。今回の新日の件で実質的に「メジャー」といえる団体は無くなった。ハッスルは一過性のもので、小川直也の年齢を考えてもせいぜい2~3年も続けばいい。プロレスの実情は、各団体が選手のやりくりをしながら細々と興行を続けていくだけ。せいぜいドラゴンゲートが独自のファン層を開拓するのみだと思う。
プロ野球は、対読売のテレビの放映権料頼みという時代はもう終わった。各球団が、単独で集客して、利益をあげなければならない時代に来た。コストを考えると選手の年棒の大幅ダウンが必要だし、球団数の削減も必要。そういう意味で、昨年は、プロ野球が再生するチャンスだった。そのチャンスを、目先のことしか考えない大多数のプロ野球ファンと古田敦也が潰してしまった。数年後、プロ野球が壊滅的な状況に陥ったとき、古田敦也は戦犯として語られることになると思う。
大相撲は、若貴後のスターを育てられなかった。マスコミ等の目が厳しくなって「星の売り買い」がやりにくくなったことも原因のひとつとして考えざるをえない。
と、ここまでは従来からの主張だが、最近気づいたのは、上の3つのスポーツ・エンターテイメントとテレビとの密接な関係だ。関東圏でNHK2局、民放5局の計7つしかない「地上波」。これに対して、スカパー、有線テレビ、さらにはインターネットと映像情報を伝えるメディアの選択肢が大幅に増えたのと同時に、一見「嘘が無い」ように見える映像情報も、実はいくらでも操作できてしまうという現実を世間一般が認識したことによる既存テレビへの不信感。既存の地上波テレビの時代は確実に終わりに近付いている。テレビ業界の人たちは認めようとはしないだろうが。
メディアの変化と、上記の昭和の3大(?)スポーツエンターテイメントの栄枯盛衰を切り離して考えることは難しいのかもしれない。
昭和40年代に、テレビを伝達メディアとして栄え、その後廃れたエンターテイメントスポーツとしてキックボクシングやローラーゲームがある。キックは細々と続いているし、その延長線上としてK1がある。ローラーゲームに関しては、語れるのは僕の世代が一番若く(ローラーゲーム終焉時、中一)、その範囲が限られている(今の40代半ば~後半だけでしょう)ということもあって、いつか、もう少し詳しく触れてみたい。

最後に。エディ・ゲレロについて。
我々昭和のプロレスを知る人間にとって、見るに耐えうるプロレスのできる残り少ない人材でした。残念です。38歳という年齢は本田美奈子.と一緒だね。僕より若い、才能ある人間が亡くなるのは辛い。

こむらがえり

ふくらはぎのことを昔は「こむら」と呼んでいたそうだ。で、ふくらはぎの痙攣、いわゆる「足がつった」状態のことを「こむらがえり」と言う。「こむらがえり」という言葉が通じるのはどの世代あたりまでだろう。
僕は、「エースをねらえ!」(ドラマ・アニメじゃなく原作の方ね)の、夏合宿のエピソードの中でお蝶様の台詞に「こむらがえりですわ!」というのがあって、初めて知った。それが中学の頃。


こむらがえりに関しては、悲しい思い出がある。


高校2年生の秋頃だったと思うが、ラグビーの練習試合(相手は覚えていない。当時練習試合をした相手というと、宮商か、宮工か、釜南だと思う)で、珍しくも僕が40メートル近い独走トライを決めた。スクラムからブラインドサイドを突き、パスのフェイク一発であっさり抜けてしまったのだ。当然こういうめったにないことをした後は反動が来るもので、直後に「こむらがえり」を起こしてのたうちまわっていた。にもかかわらず、ゲームは何も無かったようにそのまま進んでしまった。トライ後のキックが終わり、キックオフ。そのボールがタッチを出てセンタースクラムになって初めて他のメンバーやレフェリーが気付いた。「スクラムハーフはどこへ行った???」
「足、つったー」と大声を出しながら足を引きずってセンターラインまで戻って、そのスクラムからゲームへ復帰。監督や味方、相手チームもレフェリーも笑うだけ。もはや独走トライは忘れられていた。
25年も前の話。長閑といえばそれまでだけど。普通、ありえねーべ、トライした選手が無視されるなんて。


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B.B.N.

Author:B.B.N.
盛岡在住のプログラマーにして、人生のテロリスト

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